最終更新日 : 2020/06/10
為替レートの値動き分布の現象論
諸量の定義
為替レートの表し方
為替レートは時間の関数であるから,それを$r(t)$と書くことにしよう.また,$\text{A}$と$\text{B}$という通貨ペアのレートを$r_{A / B}(t)$と表すことにする.たとえば,ある時刻$t$における$\text{USD} / \text{JPY}$のレートが「1ドル=100円」であったという場合,
\[ r_{\text{usd} / \text{jpy}}(t) = 100 \, \text{jpy} / \text{usd} \ , \]
と表す.通貨ペアを大文字で書くとスペースを取るので小文字で表した.ここでは通貨ペア$\text{XXX} / \text{YYY}$の為替レートが$\text{yyy} / \text{xxx}$という単位を持つという流儀を使った.
為替レートの値動きの定義
時刻$t_{1}$から$t_{2}$までの為替レート$r(t)$の値動き$\Delta(t_{1}, t_{2})$を
\[ \Delta(t_{1}, t_{2}) \equiv \frac{r(t_{2})}{r(t_{1})} \ , \]
で定義する.
為替レートの変動を確率的と見なすと,その値動きには時間並進対称性があると期待される.その場合,値動きは時間間隔$\Delta t \equiv t_{2} – t_{1}$のみで決まり,初期時刻$t_{1}$や終時刻$t_{2}$に依存しない.したがって,値動きを表す確率変数は$\hat{\Delta}(\Delta t)$と書くことができる.以降,混乱のない場合にはハット記号を省略する.
$\Delta$は為替レートの比で定義したが,為替レートの差として,値動きを
\[ \delta r(t_{1}, t_{2}) \equiv r(t_{2}) – r(t_{1}) \ , \]
と定義することもできる.この量も確率変数と見なせば$\Delta t \equiv t_{2} – t_{1}$のみに依存すると期待されるから,その場合には$\delta\hat{r}(\Delta t)$と書くことができる.
値動きが小さいときには,$\Delta(t_{1}, t_{2})$と$\delta r(t_{1}, t_{2})$には
\[ \Delta(t_{1}, t_{2}) = 1 + \frac{\delta r(t_{1}, t_{2})}{r(t_{1})} \ , \]
の関係がある.右辺第2項の分母は$r(t_{1})$の代わりに$r(t_{2})$でも構わない.差は高次の微小量である.
為替レートの値動き分布の満たすべき条件
過去の為替レートのデータを見てみると,以下の2つの重要な事実があることが経験的に分かる.
- どの時間スケールで見ても,値動きは同じ形の確率分布に従う.
- どの通貨ペアを見ても,値動きは同じ形の確率分布に従う.
これらの事実を仮定したとき,為替レートの値動き分布に対してどのような制限が課されるのかというのが,このページで議論したいことである.以下で,2つの制限について順に見ていくことにする.
時間スケール依存性からの制限
分布関数の変換性:スケール関係式
分布関数$f(\theta; x)$を考える.ここで,$\theta = \{ \theta^{1}, \theta^{2}, \dots \}$は分布のパラメータ(たとえば平均値や分散など)を集合的に表している.
適当な正則関数を用いて変数$x$を$x’$に変換する.$x’$の従う分布を$f'(\theta; x’)$と書くと,
\[ f'(\theta; x’)dx’ = f(\theta; x)dx \ , \]
が成り立つ.これは単に数学的な変形に過ぎない.ここで,変数変換後の分布関数$f'(\theta; x’)$が,もとの分布関数$f(\theta; x)$と同じ形をしている(自己相似である)とする.すなわち,パラメータ$\theta$から$\theta’$への変換によって
\[ f'(\theta; x’) = f(\theta’; x’) \ , \]
が成り立つとする.これは,$x$から$x’$への変数変換による関数形の変化が,すべてパラメータ$\theta$の変化に押しつけられることを言っている.これもまた,ある特定の変数変換によって分布の形が変わらないという要請の下で得られる数学的な関係式である.
2つの式を合わせると,
\[ f(\theta’; x’)dx’ = f(\theta; x)dx \ , \]
が成り立つ.ここまでは$x$から$x’$への変換を特定しない一般的な議論である.
ここで,スケール変換$x’ = \lambda x$を考えよう.このとき,$dx’ = \lambda dx$である.ここで,全ての$\theta^{i}$が$(\theta^{i})’ = \lambda\theta^{i}$と変換するように$\theta$を適当に取り直すことができるとすると,上の関係式は
\[ f(\lambda\theta; \lambda x) = \frac{1}{\lambda}f(\theta; x) \ , \]
と書ける.$\lambda\theta = \{ \lambda\theta^{1}, \lambda\theta^{2}, \dots \}$である.
$\theta^{i}$の任意のひとつを選んで$\varphi$と呼び,残りの$\theta^{i}$を$\varphi$で割ったパラメータを$\Theta^{i} \equiv \theta^{i} / \varphi$と定義すれば,$\Theta^{i}$はスケール変換で変化しない.すなわち,スケール変換による変化をひとつのパラメータ$\varphi$のみに押し付けることができる.このようにすると,上のスケール関係式を満たす関数$f(\theta; x)$は
\[ f(\theta; x) = f(\varphi, \varphi\Theta; x) = \frac{1}{\varphi} F \left( \Theta; \frac{x}{\varphi} \right) \ , \]
と書くことができる.
確率変数$x$の分布に分散$\sigma^{2}$が存在する場合には,$\varphi = \sigma$と選ぶのが最も自然である.
スケール関係式を満たす関数の例:正規分布
正規分布
\[ f(\mu, \sigma; x) = \frac{1}{\sqrt{2\pi\sigma^{2}}} \exp \left( -\frac{(x – \mu)^{2}}{2\sigma^{2}} \right) \ , \]
を考える.$x’ = \lambda x$とスケール変換した分布関数を$f'(\mu, \sigma; x’)$と書くと,$f'(\mu, \sigma; x’)dx’ = f(\mu, \sigma; x)dx$より,
\[ f'(\mu, \sigma; x’) = \frac{1}{\sqrt{2\pi(\lambda\sigma)^{2}}} \exp \left( -\frac{(x’ – \lambda\mu)^{2}}{2(\lambda\sigma)^{2}} \right) = f(\lambda\mu, \lambda\sigma; x’) \ , \]
となる.これより,関数$f(\mu, \sigma; x)$のスケール依存性が得られる.
\[ f(\lambda\mu, \lambda\sigma; \lambda x) = \frac{1}{\lambda}f(\mu, \sigma; x) \ . \]
ここで,
\[ F(\nu; y) \equiv \frac{1}{\sqrt{2\pi}} \exp \left( -\frac{y^{2} – \nu^{2}}{2} \right) \ , \]
と定義すれば,この関数は
\[ f(\mu, \sigma; x) = \frac{1}{\sigma} F \left( \frac{\mu}{\sigma}; \frac{x}{\sigma} \right) \ . \]
と書くことができ,上で示したスケール関係式を満たしていることがわかる.ここでは$\varphi= \sigma$,$\Theta = \mu / \sigma$と選んだことになっている.正規分布以外にも,Cauchy分布などの多くの関数が同様のスケール関係式を満たす.
分布関数の時間スケール依存性
ここからは時間スケールに注目して議論を進める.
ある時間間隔における値動きは,より短い時間間隔における値動きの積み重ねである.各時間間隔における値動きが独立であれば,時間間隔$t$での値動き$\Delta(t)$と,その$N$倍の時間間隔$Nt$での値動き$\Delta(Nt)$との関係は
\[ \Delta(Nt) = \prod_{n = 1}^{N} \Delta(t) = \Delta(t)^{N} \ , \]
と書ける.この対数をとれば,
\[ \ln\Delta(T) = N\ln\Delta(t) \ , \]
となるから,時間間隔の変換は$\ln\Delta$のスケール変換に対応する.基準となる時間間隔を$\theta_{0}$として,ある時間間隔$t$に対して$\lambda = t / t_{0}$を定義する.先の議論から,時間間隔$t$における値動き$\Delta$の従う分布関数$f_{\lambda}(\theta; \ln\Delta)$は,時間間隔$t$(あるいは$\lambda$)の1パラメータ族として
\[ f_{\lambda}(\theta; \ln\Delta) = f_{1}(\lambda\theta; \ln\Delta) = \frac{1}{\lambda\varphi} F \left( \Theta; \frac{\ln\Delta}{\lambda\varphi} \right) \ , \]
と書ける.ここで,$f_{1}(\lambda\theta; \ln\Delta)$は基準となる時間間隔$t = t_{0}$($\lambda = 1$)における分布関数である.この表式には未定関数$F$が含まれているので,$f(\theta; \ln\Delta)$の表式に対してほとんど制限は与えていない.
通貨ペア依存性からの制限
次に,通貨ペアに依らずに値動き分布が同じ形をしているという事実から得られる分布関数への制限を調べよう.
$A, B, C$という3つの通貨を考えると,3つの通貨ペア$B/A, B/C, A/C$のレートの間には
\[ r_{B/A}(t) = \frac{r_{B/C}(t)}{r_{A/C}(t)} \ , \]
という関係が成り立つ.先ほどと同様に値動き$\Delta$を為替レートの比として定義すれば,
\[ \Delta_{B/A}(t_{1}, t_{2}) = \frac{\Delta_{B/C}(t_{1}, t_{2})}{\Delta_{A/C}(t_{1}, t_{2})} \ , \]
が成り立つ.対数をとれば,
\[ \ln \Delta_{B/A}(t_{1}, t_{2}) = \ln \Delta_{B/C}(t_{1}, t_{2}) – \ln \Delta_{A/C}(t_{1}, t_{2}) \ , \]
である.ここで,時間スケール依存性の議論から,基準時間間隔$t = t_{0}$($\lambda = 1$)における分布関数$f_{1}(\theta; \Delta)$は$\ln\Delta$の関数として
\[ f_{1}(\theta; \Delta) = \frac{1}{\varphi} F \left( \Theta; \frac{\ln\Delta}{\varphi} \right) \ , \]
と書けることを思い出せば,関数$F(\Theta; y)$は確率変数$y$についての安定分布になっている必要があることが分かる.
[A, B, Cの独立性]
[TBC]